沖縄を代表する染め物、紅型(びんがた)をご存知でしょうか?
紅型は1984年に国の伝統的工芸品の、1996年には玉那覇 有公氏が重要無形文化財「紅型」技術保持者(人間国宝)の指定を受けています。
本記事では、紅型とはどのような特徴があるか、歴史や染織方法、製作工程や現代の新しい型などについて解説します。
目次
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沖縄を代表する染め物として知られている紅型とは
紅型とは沖縄を代表する染め物で、鮮やかな色彩や配色、図形の素朴さが特徴です。
紅型の「紅(びん)」は赤だけでなく緑、黄、紫などの様々な色彩を表し、「型(がた)」は模様を表しています。
始まりは沖縄県がかつて琉球王国と呼ばれ、貿易を盛んにおこなっていた時代です。
取引されるものの中には、外国の染め物の取引も多くあり、外国から染色技術も入ってくるようになります。
外国からの影響と自然豊かな風土の中で、沖縄独自の発展を遂げ、琉球王府の保護を受けながら発達してきました。
当時は王族や士族の衣装として着用され、主に女性に好まれ着用されてきました。
顔料と植物染料を使用し多彩な模様を描き出す紅型は、琉球王府と日本本土、中国、東南アジアとの文化交流があったことを示す特有の染色技法です。
工芸史的・芸術的に価値が高く、地方的特色のある技法で、現在は国の伝統的工芸品に指定されています。
沖縄の天女伝説にも登場
紅型は琉球の古い伝説にも登場します。
「ある男が川で沐浴している美女の衣を隠します。美女は天女であり、衣がないと天に昇れないと泣き崩れますが、男は衣が見つかるまでと天女を家に連れ帰り、やがて子供が生まれる。」という羽衣伝説に似た話です。
その美女の衣は「花鳥の模様を染めた美しいものであった」とされており、その美しい染め物が、紅型の着物であったと言われています。
紅型の歴史
紅型の歴史は諸説ありますが、貿易が盛んだった14〜15世紀頃と言われています。
ここでは、紅型の誕生から現代のさまざまな事業に展開されるまでの歴史について簡単に説明します。
琉球紅型の誕生
交易が盛んにおこなわれていた14〜15世紀頃の琉球王朝には、インド更紗・ジャワ更紗・中国の型紙による花布など、外国の染め物の取引が多くありました。
それらの外国から取り入れた技法によって、沖縄独自の紅型が誕生したとされています。
紅型は王族などの一部特権階級の者だけが着用できる衣装であり、権力の象徴として琉球王府に保護されながら発展を遂げました。
また紅型の職人たちも、庶民より高い位として保護されました。
江戸時代に入り、参勤交代が始まると、紅型師も同行します。
その過程で友禅染などに触れる機会が、紅型のデザインや技術の発展につながったと考えられています。
琉球紅型の型と階級
紅型には首里型と那覇型の2つの型があり、さらに王族や士族などの階級を示す役割がありました。
首里型は鮮やかな色彩で、花や鳥などの自然をかたどった優美な模様が入っています。
紅型のイメージとして強い黄色は、王族のみ着用を許された特別な色でした。
一方那覇型は、首里型と比べて落ち着いた色合いで柄は小さく、一見地味であるのが特徴で、庶民のために作られた染め物と言われています。
制約がある中、少しでも華やかに見えるように工夫を凝らしていたのが垣間見える型です。
現在の紅型と呼ばれているものは、華やかな首里型を指しています。
現代の紅型の様式へと確率
紅型は薩摩侵攻、琉球処分、太平洋戦争などで何度も消えかけながら現在に残っています。
紅型の型紙は過去の型紙を手本にして技術や柄を継承していくため、大切に保管されていましたが、薩摩侵攻によって多くが失われました。
その後、江戸幕府との交流の中で伝わってきた本土の染物は、紅型に新たな影響を与えます。
紅型は時代の変化とともに他の文化からの影響を受けながら、たくましく発展し、現代の様式へと確立されました。
第二次世界大戦後も継続者による復興が進む
琉球処分によって王制が解体されると、王府の保護を受けていた紅型は衰退していきます。
さらに第二次世界大戦で壊滅状態となりましたが、戦後、紅型三宗家である城間家と知念家の継承者により復興活動が始まります。
物資が不足する中、拾った軍用地図は型紙、レコード盤の欠片をヘラなどの代用品にし、型紙や見本、道具作りを始めながら、後継者の育成と復興を進めていきました。
様々な事業に展開
1950年、紅型保存会が結成されると、再建が本格化し、技術・技法の継承が図られました。
その後、紅型振興会へと発展し、1958年には高等学校に染織課程が設置され、技術者養成に力を入れるようになりました。
1976年には、琉球びんがた事業協同組合が設立され、材料を安く仕入れたり、共同販売をおこなったりするなど経営の合理化・近代化につながっています。
1984年には国の伝統的工芸品の指定を受け、振興計画によって様々な事業に展開されています。
紅型の特徴
紅型の技法は、型付け(型染め)と筒引き(筒描き)の2種類です。
型付けは型紙を使って模様に色を入れる技法で、主に着物や衣服を作るときに用いられます。
筒引きは型紙を使わずに下書きを描く技法で、風呂敷やタペストリーなど大きな作品を作るときに用いられ、複雑かつ難しくて繊細な手法です。
紅型で最も使われる黄色は、琉球王国の時代に王族のみが着用を認められた色とされていました。
これは中国の皇帝が黄色を使用していたため、その影響を大きく受けています。
紅型の美しさは「イルクベー」にある
「イルクベー 」とは沖縄の言葉で色を差すことをいい、色配りとも言います。
紅型のイルクベーは、顔料と天然の染料を両方用いた独自の彩色技法です。
一般的に型染めは、友禅染のように複数枚の型紙を使って模様を染めていきます。
しかし、紅型では1つの型紙に糊を置いて防染し、色分けしていきます。
顔料を多く使う
紅型の色差に顔料を多く使うのは、沖縄が亜熱帯気候だからです。
優しい色合いが特徴の染料は、強い日差しや高温に弱い性質があります。
一方で顔料は日差しや高温に強い性質で、日差しが強い沖縄でも長く使用できるように多用されました。
さまざまな生地に色が定着しやすく、長期間色が変わらない顔料と、柔らかい風合いを出す染料を使った独特の手法で、作り上げられています。
世にも美しい色彩を生み出した
紅型は民藝運動で調査をするために沖縄を訪れた、柳宗悦や芹沢銈介らにより高く評価されました。
柳宗悦は「顔料と染料をたくみに合わせ用いた技法、それが世にも美しい色彩を生み出した。(『日本史小百科11工芸』より)」と紅型の美しさを讃えています。
沖縄の自然、気候に合わせて進化した手法はいつの時代も多くの人を魅了しています。
四季の変化が比較的緩やかな沖縄を表現
沖縄は四季の区別が必要ないほど、一年を通して温暖な気候です。
そのため紅型には、京友禅や加賀友禅と言った日本本土の染織でよく表される季節感がなく、四季は1つの模様として1枚の型紙に描かれています。
中国や日本本土の影響も受けており、自然の風物や建物など描かれている模様は様々です。
鶴や亀、松竹梅などの縁起のいい吉祥文もよく使われており、中国にルーツのある文様でも、日本的に変化したデザインのものが多くあります。
紅型は一部の特権階級の者だけがまとえる
紅型は一部の特権階級の者だけがまとえる衣装とされ、琉球王府では権力の象徴でした。
王家である尚一門の日常着のほか、国賓向け礼装や行事の際の晴れ着、国賓を招く芸能の舞台衣装として用いられ、中国からの絹織物に次ぐ地位に置かれていました。
着用できる色は階級によって厳格に区別され、一反の布が染め上がると、型紙は王族や貴族に返却するか焼却します。
これは他の人が同じ模様を着ないようにするための習わしでした。
紅型の戦後復興に尽力した2人がいた
紅型は第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けます。
その復興の立役者となったのは、王朝時代から紅型三宗家である城間家と知念家の継承者、城間栄喜と知念績弘の2人です。
2人は日本本土に保管されていた一部の型紙を譲り受け、失われた多くの型紙や見本、道具などを作り、記憶をたどりながらデザインを彫りました。
1950年には紅型保存会を結成、紅型の再建が本格化する中で後継者の育成にも尽力した実績があります。
1973年に紅型は無形文化財に指定され、2人は紅型の技能保持者に認定されました。
そして1984年、国の伝統的工芸品に指定されています。
紅型の染色方法
琉球紅型の染色方法は、紅型・藍型・筒描きの3種類です。
ここでは、3種類の違いを簡単にご紹介します。
紅型
紅型は型紙を使用して染める方法で、主に着物などの衣服を制作する際に用いられます。
大きな型紙で肩と裾に異なった文様を染めたもの、中くらいの型紙で繰り返し染めたもの、2種類の型紙で重ね染めしたものなど様々です。
藍型
琉球藍で染める藍一色の濃淡や、墨で染められたものを藍型といい、素朴な色合いが特徴です。
赤や黄、緑の色を入れることもあり、夏物衣料として好まれています。
色を染める際、通常は防染糊を使い、糊を伏せていない部分に色を差しながら何色にも染めます。
対して藍型は、何回も漬け込むことで濃淡を出しながら染めていくのが特徴です。
筒描き
筒描き(つつがき)は糊引(ヌイビチ)と呼ばれ、型紙を使わずに防染糊を入れた円錐状の袋の先から糊を絞り出し、生地に模様を描く手法です。
模様を描いた後に色を差しますが、均一に絞り出すのは難しく高度な技術が必要です。
風呂敷や幕など大きなものを描くときに多く使われます。
風呂敷は婚礼などのお祝い事、大きな舞台幕は豊年祭などに使われるため、描かれている文様の多くは縁起のいい吉祥文様です。
紅型の製作工程
紅型の制作工程は以下の通り7つの工程があります。
- 形彫り
- 型附け
- 色差し
- 隈取り
- 糊伏せ
- 地染め
- 水洗
ここでは紅型の製作工程を1つずつ説明します。
形彫り
沖縄の読み方でカタフイといいます。
型紙を作り、デザインした図案を型紙に写し彫り進めていく工程です。
手作業ならではの温かみのある線が特徴で、シークと呼ばれる小刀を使い、ルクジューという下敷きに型紙を置いて彫っていきます。
ルクジューとは型紙を掘る際の下敷きにする道具で、木綿豆腐を圧縮し乾燥させたものです。
型附け
沖縄の読み方でカタチキといいます。
型紙を掘った後は、生地に糊を敷き、型紙を置いてその上から防染糊を塗り広げます。
この工程は同じ型紙を1反分繰り返して使用しますが、わずかな手の加減や型紙のずれで出来上がりに差が出るため、少しも気を抜くことができません。
色差し
沖縄の読み方でイルジヤシといいます。
色の定着を良くする豆汁という大豆の汁でできた液を塗ったあとに色差しを始めます。
一度模様に色を入れた後、再度同じ色を重ねる二度刷りといわれる手法で、微妙な色の加減で仕上がりに影響が出るため、担当するのは1人の職人です。
隈取り
沖縄の読み方でクマドウイといいます。
紅型の模様には、鮮やかな色に絶妙なぼかしが入っています。
隈取りは、色差し後の文様の部分にぼかし染を施す紅型独特の技法です。
立体感や遠近感、透明感を出し、より魅力的にさせる重要な効果があります。
糊伏せ
糊伏せは文様の上に防染糊を伏せる方法で、地染めの前におこないます。
紅押さえと呼ばれ、防染だけではなく、生地の白地や文様の白地を効果的に出すのが役割です。
地染め
糊伏せ後に生地に色を入れるのが地染めです。
刷毛で全体に塗り上げますが、むらが出ないよう慎重に行わなければなりません。
水洗
生地に塗った防染糊や余分な染料、顔料、薬剤などを洗い流す作業です。
水槽いっぱいに張った水の中で、優しく丁寧に軽くたたみ込むように洗っていきます。
防染糊は一度では落ちないため、何度も水を変えながら洗うのがポイントです。
新しい紅型が誕生して多くのファンに愛されている
紅型は歴史とともに他の文化の染物と融合し、発展してきました。
その過程で琉球紅型の特徴を活かしつつ、本土の伝統と融合した紅型も誕生しています。
今や代表的な染物となり、現在も多くのファンに愛されている江戸紅型と京紅型の2つの新しい紅型の形を紹介します。
江戸紅型
江戸紅型は東京で制作されている紅型です。
琉球紅型は植物の染料を使用するのに対して、江戸紅型は顔料で染め上げるのが特徴です。
染め1色に対し1枚の型紙を使用し、柄によっては数百という型紙を使う場合もあります。
琉球紅型よりも色のトーンが抑えられ、地味な雰囲気に見えますが、落ち着いた渋みがあります。
小粋な柄が自然に入っていて、地味を好む粋な江戸文化に受け入れられた紅型です。
京紅型
江戸紅型に対し、京紅型は京都で制作されている紅型で、全体的に柔らかい色合いが特徴です。
琉球紅型の南国らしい芭蕉や魚のような柄、沖縄の自然を彷彿とさせる華やかさとは異なり、四季折々の自然を思わせる柄や古風な文様で、洗練された雰囲気があります。
沖縄で紅型に出会った栗山吉三郎氏が京友禅と融合させ、もともと琉球紅型に京友禅の染料を使用したのが始まりです。
まとめ
紅型は鮮やかな色彩や配色、図形の素朴さが特徴の沖縄を代表する染め物です。
琉球王国だった時代、盛んにおこなわれた貿易による外国からの影響と、自然豊かな風土の中で沖縄独自の発展を遂げてきました。
歴史上、何度も消えかけながら時代の変化とともにたくましく発展し、現代に残っています。
紅型特有の技法は、琉球王府と日本本土、中国、東南アジアとの文化交流があったことを示しています。
工芸史的、芸術的に価値が高く、地方的特色のある染色技法になります。
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